〜TOMORROW TRAIN〜

2002年の秋、私は東京駅10番ホームで電車を待っていた。寝台特急
「さくら」、この電車にあの頃の私はひとつの希望の灯火を求めていたの
だ。18時02分、青い車体は滑らかに東京駅を後にした。

事務所からの宣告と積み上げてきたものの崩壊・・・自分の行動が全てを
導く、それは破滅へのプロローグ。

だから私は這い上がるためにギターだけ持ち込んでやり直し・・・再生を
この列車に懸けていた。小学生の頃、自分の住んでいる近くに「線路沿い」
があった。乗ることのできない1番線、初めて見た「青」は鮮明だった。
行き先など理解できず、ただ遠方・・・・知らないところまで走っていく
その想いは「青」に重なる、惚ける、と消えることがなかった。

時は過ぎ、私が旅行ではなく「リセット」にこの列車に乗り込むとは・・・・
巡る想いで胸の動機がうるさく感じたのは、初めてのことであった。1080
分の中で6つの詩を書いた、いや書き殴ったと言ったほうが正論だろう。
そこに季語や時間など存在なく、あふれ出る「傷」そのもの。列車の窓か
ら外を見た、今までの光景とは違う、いや違って見ているのだ。家族の会
話、恋人たちのざわめき、酒酔の挽歌。全ての物が呼吸して見えた、一生
懸命に生きているのだ。中途半端に生きてきた私はいつもそうだった。好
きなものに飛びつき、嫌いなものを避ける、拒む・・・・汚い男。傷つく
のが怖い弱虫だったのだろう。

淡々と進む列車と窓で咳き込み泣きはじめた。「遅い」そう、振り返るこ
とができず、初めて理解するまでの時間が遅かったのだ。場所、帰る場所
などない・・・現実はリアルな逃げ場所、そう何処にもない。一人で生き
ていけるのか、孤独と空虚の足音が聞こえる。

眠った。一定のリズムがそうさせた。
おそらく零時の終わり・・・・ここだ。あの場所だ、かなりの速さで連結
部の近くの窓に走った。見える、ここが「線路沿い」の上だ。とうとう来
た・・・・光が俊足に走る。あの日の私が見える。人生の7の数字を懸命
に消費している「自分」だ。咄嗟に母親の顔が浮かんだ。公衆電話に錆付
いた10円玉を落とす。他愛のない会話が心に響く、明るく振舞う私に母
親が辞める事は逃げる事と言った。電話は切れた・・・いきなり切れた静
かに受話器を置いた。優しく置いた、いや優しく置けたのだ。口の悪い母
親は言葉を選ぶように話していた。
解っていたのだ、私の弱さを、逃げようとする私を知り尽くしていたのだ
母親は守っていた、ずっと私と兄貴を。女性関係が多い父親を見捨てるこ
となく、ただ耐えに耐えて家族を守っていたのだ。
病に苦しむときも必死に家族だけを見つめていたに違いなく、更年期も自
分と戦い、自らの足で再び生きた母親だった。20過ぎた僕を言葉一つで
守りぬいた・・・いや守ってくれたのだった。

朝の光が差し込んでいた。眠ったのか起きていたのか記憶がない。けれど
も生きているのは確かだった。そろそろ終点らしい。私は身体の中から吹
き出る情熱を感じていた。


2008年の冬、友人が寝台急行に乗り込む。
思い出した・・・それだけである。彼もまた行くのだ・・・寝台列車へ。


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