雨の池袋南口。ギターを持った僕はKIOSKの新聞コーナーに目が釘付
けになった。
「中西学 IWGP初奪取!」 一瞬、時間が止まったかのように感じられた
・・・あの中西が奪ったのだ。
新日本プロレスを見始めたのは小学4年の夏だった。「ザ・コブラ」とい
う覆面レスラーに興味を持ち始め、やがてアントニオ猪木に惚れ込んでい
った。その後、藤波VS長州の名勝負数え歌に始まり木村健吾の稲妻レッグ
ラリアートに狂喜する日々が続き、本格的なプロレスファンになる頃には
橋本、蝶野、武藤の闘魂三銃士の時代に突入するのだ。
特に武藤の化身「ザ・グレート・ムタ」には惹かれた。あのアメリカンナ
イスされたスタイルは完璧で、そのパフォーマンスは僕もよく真似ていた
ものだった。僕の友人たちもTV中継を見ていたし、この頃のプロレスは興
奮を超え、見るものを虜にさせる力があったと言えるほどパワーがあった
のだ。
大仁田厚率いるFMWも良かったがレスリングスタイルを重視する新日本プロ
レスが大好きだった。
その新日本に一人の男が入団した。1992年、忘れもしない母校の先輩
が走り幅跳びでバルセロナ五輪代表に選ばれた年だ。名は中西学。彼もま
たアマレスで五輪入りしている。デビュー当初はアマレス仕込みのスタイ
ルで見事なグラウンドレスリングを展開していたが、近年は摩訶不思議な
パワーファイターに変貌し、その発想と技の迫力から「野人」と呼ばれる
ようになったがチャンピオンベルトには無縁だった。
新日本では選手が喉の奥から欲しがるIWGPヘビー級のベルトがある。これ
は猪木が世界で一番強い者が巻くモノと作ったベルトで、日本を代表する
選手は1度は巻かなければいけない「証」なのだ。過去に猪木、藤波、長
州に高田。ボブ・サップまで手に入れたもので、当然、中西世代の永田や
天山、小島も巻いていったのだ。中西は過去5回に亘り挑戦しているが奪
取ならず。初挑戦から10年の時が過ぎていった。
正直、僕も中西がチャンピオンになるのは無理と思っていたし、このまま
フェイドアウトしていくかに思えたが、が、しかし。
2009年5月6日、デビューから17年、42歳、初挑戦から10年5
ヶ月、6度目の挑戦でついにIWGPヘビー級王者になったのだ。21分42
秒ジャーマンスープレックスホールドで最強王者「棚橋弘至」を破ったの
である。
中西の「見捨てずに応援してくれて ありがとう」泣けるではないか、こ
の言葉。また長年指導してきた山本小鉄顧問も放送席で泣いているではな
いか!!素晴らしい光景だ。人間、夢をあきらめずに追い求める姿が新聞
から溢れる位、伝わってきたのだ。
野田旭、東京メジャーを夢見て上京し11年。まだまだ夢は叶っていない
が、中西選手の如く「腐らず、練習あるのみ」の精神で頑張って行きたい
と思う。
そう改めて思い起こしてくれた中西学選手よありがとう。そしておめでと
う。これからも「野人パワー」で夢、見させてくれ!!
中西学 第51代 IWGPヘビー級王座 新日本プロレス最強の男である
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